スポゲル代表の山口修一と申します。
スポゲル公式サイトをご覧いただきましてありがとうございます。
こちらではなぜスポゲルを私が開発することになったのかの経緯をお話させていただきたいと思います。
気弱なライパチくん
このような製品を販売させていただいているぐらいですから、子供のころから運動神経抜群で、根っからのスポーツマン、と思われることもあるのですが、地元で所属していた全く強豪でもない少年野球チームですら完全なお荷物選手。
センスもパワーもなく、まじめに練習するものの消化試合でたまに試合に出させてもらえる程度のライパチくん。
ライトで打順8番というのが当時は下手の象徴のように言われたのですが、今もそうなんでしょうかね・・
試合に出ても嬉しいと思うどころか、エラーをすると監督・コーチなどから軍隊かと思うような罵声、ケツバットが飛んでくるので、とにかくボールが飛んでこないように祈っていたのを覚えています(笑)
今思えば楽しくもなんともないのになぜ続けていたのか、さっぱりわかりません(汗)
そんな状態でしたから、中学校へ行ったら文化系のクラブでも入って勉強をちゃんと頑張ろうかな・・と思いましたが、まあテニスぐらいならできるかと思って、地元中学の弱小テニス部に入部しておきました。
テニスめっちゃおもろいやんか
弱小の部活動でしたから、練習もいい加減なものです。
でも軍人もいません(笑)から、伸び伸びと楽しく練習できます。
となると当然上達も早くなります。
当時テニスぐらいならと舐めて入部しましたが、運動としてのテニスの激しさに驚きましたし、それ以上にめちゃくちゃ面白くて、スポーツなんて無理、と思っていた僕にすると嬉しい誤算でしたから、のめり込むには時間はかかりませんでした。
夕方は暗くなってボールが見えなくなるぐらいまで打ちまくり、朝も早く行って練習とずっとラケットを振りまくってたと思います。
高校でもそのままテニスを続け、打つボールも激しくなってきたせいか肩や肘が痛みだしたり、捻挫をしたり、というのはよくありましたね。
定期テスト前のクラブが休みのときにうまく回復していましたが、若くて回復も早かったんだと思います。
テニスは大学でも本当に楽しく続けていきましたが、当然テニス選手として食っていけるわけでもなく、普通にサラリーマンとして就職することになりました。
行政書士として許せなかったこと
サラリーマンも楽しくやっていたのですが、テニスで個人プレーが染みついていたからですかね、自分で何かやってみたいと思い、だからと言って手ぶらで実家に帰るわけにもいかず、目に付いたのが『行政書士』という資格。
全くどんなことをするか知りませんでしたし、自力でも取得できそうで、独立もできそうっていう理由だけでまた舐めた理由ですね(笑)
28歳から実家の離れで事務所をスタートさせて、同業者の先輩や、お客さんにも恵まれて少しずつ仕事が増えていきました。
たまたま建設業者の方が多く増えていったので私の事務所では建設業者の方の手続きを専門にさせていただいているのですが、少子高齢化の最近では行政書士に限らず、司法書士、弁護士、税理士などの法律に関係する者から高齢者をターゲットにしたサービスが次々と打ち出されるようになりました。
しかし、中には認知症の方の財産を管理する一方で、管理すべき財産を横領してしまうような法律家が見受けられるなど『同じ法律家の端くれとして、何とかできないのか・・』と非常に心苦しいものがありました。
そんなことを思い始めていた前厄の40歳のころ、従業員にも恵まれて仕事をどんどん任せられるようになっていたのですが、人生で最大(結婚よりもうれしかった(笑))の幸運が訪れました。
こちらのページにも書いたのですがナダルと出会えたということ。
ナダルが引き金に
でも、ちょうどそのときナダルはヒザのケガを悪化させロンドンオリンピックをはじめ、その年内の全ての試合の欠場を決めたころ。
テニスファンにとっては世界で最も幸運な20名の対応をナダルは本当に笑顔で優しくしてくれましたが、インタビューの際にケガで欠場のことをたずねられたとき、やはり何とも言えない悔しそうな、悲しそうな表情を見せました。
そのときでしたね、どんな超一流スポーツ選手でも、一般の方であっても、思い通りに体を動かせないというのがどれだけつらいことなのか、当たり前のことにちゃんと気づいたのは。
帰国後いろいろ調べていくとスポーツなどで体を動かす習慣のある人は、認知症になる割合が低いというデータを見つけ、一般の方であればスポーツなどいつまでも体を動かす助けになりそのことで認知症を遠ざけることができ、スポーツ選手であればパフォーマンスを発揮できるものが作りたい、と思うようになったのです。
行政書士をしながらですが、少しずついろんな専門家の方に教えてもらい、4年以上かかってようやく出来上がったのが『スポゲル』です。
良いものができた、誰にでも勧めることができる!
そう思って意気揚々とスポゲルの販売をスタートさせたのですが・・
今までとは全く違う物販、お門違いでした。
商品は使ってもらったら良いと自信があるけれども誰も振り返ってくれません。
販売からの撤退の文字も正直頭をよぎったことはあります。
絶対に知らせていかないといけない・・
それを踏みとどまらせてくれたのはあるご婦人からのお言葉でした。
『スポゲルを毎日使うようになったおかげで膝の痛みがなくなって、孫とも外で楽しく遊べるようになった。
だからこれからも頑張って良いものを作ってね。』
本当に嬉しかったのですが、売れないからといって、知られないからといって、簡単には辞めない、スポゲルをもっと広めなければならない、そのように心から覚悟した瞬間でした。
これからもたとえ少しずつになったとしても、スポゲルを広め、身体が動きやすくなって喜んでいただける方を一人でも増やしていきたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
株式会社スポゲル 代表 山口修一